オンラインのもつ意味を考える

新型コロナウイルスの感染拡大に伴いう緊急事態宣言が延長されました。この新型コロナ禍は、当たり前であった子ども達が学校で学ぶこと、大人たちが職場で働けることが如何に有難いことかを教えてくれています。失って初めて日常の営みの大切さが分かります。この危機的な状況をオンラインという手段が救ってくれているようにも思えます。学校教育はオンライン授業に変わり、職場に行くことなく、在宅で業務を遂行できるようになっています。オンラインで全てのことが済むのであれば、学校も職場もなくても良いものになってしまうかもしれません。しかし、学校現場は遠隔授業に取り組んでいますが、設備やノウハウが不足しており、十分に進んでいるとは言い難いところがあります。地域や学校によってもばらつきがあります。
確かにオンラインだと体を移動させることなくても交流を持つことは可能です。しかし、長い外出自粛が続き、ネットを通じた交流だけでは、何か満ち足りないという感覚は、多くの人が抱いているのではないでしょうか。オンラインは体の煩わしさを排除してくれますが、大切な人と人との直接会っての交流から得られる心のゆとりを感じることはできません。またオンラインでは、喜怒哀楽などの感情を汲み取るのも難しいかもしれません。人と人との出会いがあってこそのオンラインです。
場所や時間を問わない働き方は、テレワークに限りません。通信環境と情報端末は、オフィス内でもフリーアドレスやウェブ会議、ハドルミーティングといった働き方の選択肢を広げます。テレワークで培った知見は、オフィス内での効率改善、スマートワークの実現に役立ちます。国難ともいえる現在の状況も、意識と実態の両面で働き方改革を進める契機になり得ます。しかし、オンラインを通じた交流だけでは済まないことも理解しておく必要があります。

(吉村 やすのり)

 

カテゴリー: what's new   パーマリンク

コメントは受け付けていません。