ゲノム編集について考える

遺伝子は偶然か必然かはともかく、長い時間をかけて変化を積み重ねてきました。遺伝情報は、生物が今日までどう生き残ったのかを記録した物語であり、今後を生き抜く戦略を書き留めたガイドブックでもあります。その内容に手を入れると、遺伝子が導く進化の方向とその先の未来が一変する可能性もあります。遺伝子を自在に書き換えるゲノム(全遺伝情報)編集技術が、進化の行く末を決めることになるかもしれません。日本人の3人に1人が亡くなるがんは、遺伝子の突然変異が主な原因であり、ゲノムを正常に書き換えれば防げる可能性はでてきます。
ゲノム編集はもともと、ある種の細菌が外敵のウイルスを撃退しようと遺伝子の本体であるDNAを切り刻む現象に着目しています。これが遺伝子を狙った場所で切断し、書き換える技術であるゲノム編集技術につながりました。2012年にクリスパー・キャス9というゲノム編集の簡単な方法が登場すると、多くの研究者は、病気の原因となる遺伝子を働かなくしたり、正しい遺伝子を補ったりして、治療が難しかった病気を克服できるのではないかと研究を始めています。遺伝子の働きは複雑で、限られた遺伝子の書き換えだけであらゆる病気を治せるわけではありませんが、いずれ人類は自分の手で自分たちの体をつくりかえ、運命すら変えられるような時代が来るかもしれません。

ゲノム編集の作用が患者一人ひとりにとどまるなら、まだ治療の域にとどまっています。それが精子や卵子などにまで及ぶとなると、次世代にゲノム編集した遺伝子が引き継がれることになります。後世に想定外の影響が及ぶ恐れすらでてきます。2018年には、中国の研究者がエイズウイルス(HIV)にかかりにくいようにゲノム編集した受精卵から双子を誕生させたと報告し、世界中から非難を浴びました。ゲノム編集がなお未熟な技術であり、他の遺伝子を意図せず傷つけてしまう危険性に加え、次の世代へ変異が伝わる影響への懸念があるからです。親が望む容姿や体質、能力を備えるデザイナーベビーの誕生にもつながりかねません。

現代の研究者の判断だけで、むやみにある種の病気の遺伝子を排除することは、多様性を狭めてしまうことになりかねません。今後、人類が新しい病気に直面した時に、人類の生存を不利にする可能性もでてきます。進化の原動力が自然の成り行きではなく、ゲノム編集ではヒトの意思がそこに働くことになります。ゲノム編集により、ダーウィンの進化論とは別の進化の道を選択しようとしているのかもしれません。確かにゲノム編集技術は、病気の原因となる遺伝子の異常を修復するには有用な手段となりえます。目の前の病気を治療すことは大切ですが、ヒトが進化を操るだけの能力を持ち合わせているとは思えません。

(2019年10月16日 日本経済新聞)
(吉村 やすのり)

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