コロナ禍における経済的犠牲

コロナ禍での感染対策と社会的経済活動の両立の見通しは立っていません。東京大学の仲田教授らは、数理モデルを使い、その両立に向けた現実的な見通しを示すべく、さまざまな切り口で感染者数や経済見通しなどを、分析しています。各国・地域の感染・経済に関するデータと数理モデルを利用し、各地域におけるウイルスの感染力や致死率、経済政策、医療体制など広い意味での制約を推定しています。
コロナ死亡者を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいかという支払い意思額を試算した分析によれば、日本は20億円、豪州は12億円、米国は1億円、英国は0.5億円となります。先進国の中で日本が突出しています。さらに都道府県でも地域差が見られ、東京都は5.6億円、大阪府は4億円に対し、鳥取県は563億円、島根県は730億円という結果です。この試算から言えることは、日本の場合は20億円という大きな犠牲を払ってでも、死亡者数を抑えたいという価値観があるということです。
日本人が死者数を1人減らすためにこれだけ大きな犠牲を払いたいという価値観の背景には、何事にも完璧さを求める国民性と、感染リスクを減少させることに伴う社会犠牲を楽観視、または過小評価していることがあります。こうした社会犠牲の中には、飲食店、宿泊業、エンタメ業界など、産業の大きな停滞だけでなく、子どもたちにとって、一生の思い出になる学校の修学旅行、入学式や卒業式、日々の授業や部活動、大人にとっては、お盆休みや正月に両親や親戚に顔を合わせるための帰省など、日常のささやかな幸せがたくさん詰まっています。
日本人は、海外に比べて日常のささやかな幸せを軽んじる傾向が見られ、命を守るためなら、ある程度の犠牲は仕方がない、国・政府の言うことを守ることが是という固定化された思考や正義から脱却できない状況に陥っているとも考えられます。人と人とのつながりが抑制された負の影響は多岐にわたります。メディアは、新規感染者数や重症者数、病床使用率の推移ばかりを報道していますが、自殺者や失業者の推移、出生数や婚姻数の減少などについての報道はみられません。ただでさえ、少子高齢化が進むわが国で、コロナ禍での失われた婚姻や出生の影響が軽微であるとは思えません。
欧米より圧倒的に感染者数や死者数が少ない中、国民のコロナ感染リスクに対する態度や価値観を所与とするならば、日本は、今後も海外と比べて相対的に感染者数・死者数が抑えられるものの、経済回復はますます遅れることになってしまいます。感染症対策と社会経済活動との両立に向け、大きく方向転換するべき時期にきています。

(Wedge vol.34 No.4 2022)
(吉村 やすのり)

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