出生前診断の生命倫理学的考察―Ⅲ

胎児の人権
出生前診断の進歩により、治療可能な疾病・異常を早期に発見でき、しかも胎内にいる時点から治療対象になりうるようになっている。近年、さまざまな胎児治療が周産期医療の現場において試みられている。未だ治療可能な疾患は限られているが、胎児治療にあたっては出生前診断の進歩が必須である。また、新生児を迎える親の立場、新生児医療の立場からも、胎児の異常を早期に診断できることは、出産への準備・対応を決めるうえでも大切である。胎児の視点から出生前診断の意義を考えると、児の異常の受容を出産するまでの間に備えてもらうという心の準備と時間的な余裕、また事前の情報提供による理解と支援というステップを踏むことが可能となる。
欧米では、胎児を1人の人間としてその生きる権利を守るプロライフ(pro-life:生命を守る原則論)と、産むか産まないかは女性の選ぶ権利の一部であるというプロチョイス(pro-choice:生殖にかかわる女性の自己決定権を守る原則論)との意見の対立がみられる。それに対しわが国においては、治療可能な疾患をもった新生児の生死の判断においても、子どもの生きる権利が親の権利を凌駕することは例外的とされている。ダウン症候群の児をもった家族が、出生前診断がなされず中絶の機会を失ったと産科医を訴える裁判例がみられるように、胎児の権利が親の権利と同じ条件で議論される時代になっていないと考えられる。
出生前診断がもつ、他の医療と異なる生命倫理的特徴は、胎児を対象とするところから、致死的疾患や極めて予後不良な事例において、その生命を抹消することを前提とした優生学的医療行為が行なわれうることである。出生前診断の臨床の場においては、胎児は母親とは異なった遺伝子をもつ1人の人間であるとしても、医療はすべて母体を介して行なわれるため、出生前診断を行なうかあるいは産むか産まないかの判断を下すのは母親である。母と子の命を対象とする周産期医療においては、母親の命を優先するという生命倫理的特徴があり、極言すれば出生前診断においても、胎児の生死が母親の手に握られているといえる。
近年の胎児医学の発展により、すでに胎児は脳を含めた多くの機能の面でこれまで考えた以上の能力をもっていることが明らかになっていることを考えれば、出生前診断における倫理とはともに生きる前提からの思考であるべきである。出生前診断をすることが人工妊娠中絶を前提とするならば、検査すること自体を見直さなければならないかもしれない。臨床の現場においては、胎児はどの時点からわれわれ同様に、人として生きる権利や医療を受ける権利を有するかということを、医学的のみならず、法的・倫理的にも考えていかなければならない。

(吉村 やすのり)

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