同性婚について考える

憲法24条には、婚姻は両性の合意のみに基いて成立するとしています。戦前には家制度があり、婚姻には家の戸主の同意が必要でした。当時のGHQは、日本の状況を見て女性の意見が無視されていると考え、日本国憲法には両親でも男性の支配でもない、女性の意思に基づく婚姻を保障するための条文が必要であり、憲法24条となっているといった経緯があります。この憲法の下で同性婚が認められるべきかどうかが問題となっています。
憲法24条にいう婚姻は、家庭内に男女の両性がいる異性婚だけのことを示しているとするのが自然です。つまり憲法24条は、異性カップルのみに適用され、同性カップルには適用されないことになっています。しかし、ここでいう異性婚は、男女の合意があればそれだけで成立としている条文であり、同性カップルに法律婚の地位を与えていないとしているわけではありません。また同性婚を認めないことは、憲法14条の平等原則に違反しています。つまり、同性婚を認めるかどうかは、憲法の解釈論にまで発展し、法務省の法制審議会などで十分議論すべき問題で、我々が賛成・反対を軽々に論じることができないような問題です。
日本には戸籍制度があり、結婚するとほとんどが男性の名字を選び、男性を筆頭者とした戸籍が作られます。女性の名前はその下に書かれ、家族の中に上下関係が生まれてしまいます。上位に立つ男性や、自分を押し殺してそこに順応してきた女性にとって、それ以外の家族のあり方を認めることは許せないのかもしれません。しかし、同性婚を認めたからといって、男女の夫婦が否定されるわけではありません。同性婚できる制度があった上で、結婚するかしないかを選ぶのは、それぞれのカップルの自由です。しかし日本のように、同性婚という選択肢がそもそも無ければ、選ぶこともできません。家族のあり方の多様化に、わが国の法律や制度が追いついていないのが現状です。家族観というのは政治的に利用されやすく、さまざまな力関係の影響を受けやすい概念です。
主要先進国で同性婚の法制度がないのは、もはや日本だけです。東京都世田谷区や渋谷区のように同性同士のパートナーシップ制度を導入する自治体も出てきています。しかし、日本で同性カップルが一緒に暮らすことは容易ではありません。同性カップルは事実婚状態であっても、異性間と同じような保障を受けることはできません。特に国際同性カップルは大変です。法律上は他人のため、家族としての在留資格ありません。
例えば同性婚では子どもが生まれないから、伝統的家族観に反するという主張があります。結婚することは、子どもをつくり、家族を形成することであると考える人が多いとは思いますが、子どものいない状況を望んだり、子どもをもつことを断念した男女の夫婦も多くみられます。自らの子どもを持つことを諦めても、特別養子縁組や里親制度を利用して、子どもを育てることができ、自分達の子どもを持った夫婦と同様に家族を形成することもできます。
今一度、自民党の「性的指向、性自認の多様なあり方を受容する社会を目指す」という方針のもつ意味を皆で考えるべきです。当事者への理解を深めることが大切です。そのためには教育を通じて、思いやりをもって当事者の立場を尊重することが必要となります。時代とともに結婚観や家族観は大いに変化します。結婚する権利を持つ多数派は、同性婚を望む少数派の意見を傾聴すべきです。

(吉村 やすのり)

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