積極的監視かプライバシー尊重か

新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、日本でも緊急事態宣言が出されました。緊急事態宣言が出て、外出自粛が呼びかけられていますが、法的に外出や店舗営業の制限を強いるわけではありません。国民に協力をお願いして、外出を減らして営業の自粛をお願いし、感染を封じ込める策です。しかし、予断を許さない状況にあります。自由な移動や経済活動は、民主主義社会の基盤をなす基本的人権の根幹です。自由を奪ったり、むやみに制限することがあってはなりません。
一方、中国においては武漢を2ケ月半にわたり徹底した都市封鎖をしました。欧州ではコロナ禍にある多くの都市で原則外出禁止を打ち出し、罰則規定を設けている国もあります。非常時に国民の自由や私権を一定程度制限するのはやむを得ない面があります。香港への来訪者は、追跡機能の付いた端末の装置を義務付けられ、韓国では、当局が感染者を特定するのにタクシーの領収書からクレジットカードの利用記録まで調べます。
感染症を抑え込むには、個人の行動を制限し、対策に必要な資源を収用することも必要です。中国のような一党独裁の政治体制は、感染拡大の際の都市封鎖も可能にしています。しかし、民主主義国家においては、緊急事態の政策決定に際しても、個人の自由や人権、尊厳がないがしろにされることがあってはなりません。新型コロナパンデミックによる移動制限や休業要請は、国民から対策への不安や不満が出てきます。政治決定過程の透明化や指導者による説明のあり方にも課題が残りますが、問題はどんな方法でどこまで私権を制限するか、その措置に国民の理解が得られるかにかかっています。いずれにしても、新型コロナのパンデミック対策とプライバシーとはトレードオフの関係にあります。
この感染症との戦いは長く続くと思われます。独裁国家であっても、管理された民主主義国家でも、他の統治体制がウイルス対策としてより有効であるとみられれば、プライバシーに対する信頼は危機に陥ることになります。どんな危機的な状況に状況下でも、言論や表現の自由を確保する取り組みは欠かせません。わが国も含めて各国が権力の抑制的な行使に努めると同時に、今後国際社会が強権的な政権に目を光らせることが大切です。
わが国の感染症対策は、中国の強権主義と対極にあり、人権を尊重したやり方であり、生ぬるいといった指摘もあります。人との接触を8割抑制できれば、新たな感染は大きく減らせることができるとしています。安倍政権はこれを踏まえ、接触の8割減を呼びかけています。しかし、中々この水準には達していません。実現には都市封鎖(ロックダウン)に近い措置が必要との指摘もあります。人々に自粛を求め、8割減にもっていけるなら、それが最善です。わが国の新型コロナ対策の是非は、他に類をみないシステムであり、厳しい管理システムを実施した国と比較し、感染者数、特に死亡者数、日常生活や経済活動をどれほど早く復活させたかで評価されるであろう。

(吉村 やすのり)

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