障害のあることに憶う

 「障害者なんていなくなればいい」として、施設で暮らしていた19人もの尊い命が奪われました。経済的な利益を生まず、社会貢献もできない者は生きる価値がないと、障害者の命を否定したことは許せる行為ではありません。かけがえのない命と言われる一方、経済至上主義の中で人の命が軽視されるようになってきています。誰しもそれぞれの立場の人々に対する差別があり、障害のある人々を見て生きている意味があるのかと思う人もいるかもしれません。障害のあるものは不幸で価値が低く、社会の負担とみるような優生思想は未だに根強いものがあります。しかし、これは、私たちが障害者に対して無知であり無理解であることに起因しています。生き方の「幸」「不幸」は、他人が言及すべき問題ではありません。
 20年前、着床前診断の臨床研究を実施しようとした時、多くの障害のある人々と出会い、お話しする機会がありました。出産前に障害の有無を調べる羊水検査による出生前診断は、すでに以前より実施されておりました。科学の進歩によって開発された着床前診断遺伝子診断は、妊娠前に受精卵の遺伝子や染色体上の遺伝学的異常の有無を診断することを目的としています。それまでの出生前診断では、診断が完了した時にすでに妊娠中期に到達しており、異常があれば中絶を選択するかもしれない母体に対して、精神的かつ身体的な侵襲が重く伸し掛かっていました。着床前診断は、中絶という出生前診断の持つ問題を回避できる長所があるとして全世界に広まっていました。わが国に着床前診断を導入しようとする際、ある障害者の方が教えてくれました。出生前診断では妊娠を継続するという選択肢は残りますが、着床前診断では胚を選別し異常胚を廃棄することになり、障害のある人間を抹殺することになると諭してくれました。
 障害のある人は、われわれの気付かないことを教えてくれます。大切なことは、まず障害のある人と触れ合うことです。新しい技術は、次々と国境を越えて入ってきます。日本社会として何をどのようにして受け入れるかは、医療関係者の判断だけで決定できることはありません。新しい医療技術の導入をする際には、障害に寄り添う気持ちとともに、いかにして障害者の支援ができるかの観点を忘れてはなりません。

(吉村 やすのり)

カテゴリー: what's new   パーマリンク

コメントは受け付けていません。