人・モノ・カネの移動を促進したグローバル化は、皮肉なことにウイルスの移動を活性化させてしまいました。武漢で発生した新型コロナは、一帯一路で欧州から米国に広がり、グローバル資本主義の中心であるニューヨークが最大の被害を受ける結果を生み出しました。
新型コロナ感染症との闘いの長期化も見込まれる中、現在、コロナ禍で急ブレーキがかかった経済活動の再開を求める声が、日ごとに高まってきています。欧米では、ウイルス対策による行動制限の緩和が進み、経済活動とともに学校も再開し始めています。新型コロナウイルスの対策を検討するとき、経済を停止して大不況を甘受するのか、再開して感染爆発を甘受するのかという二者択一で考えてしまいます。経済よりも人命の方が大切という考え方はよく理解できます。しかし、経済が人命を左右するという事実もあることを忘れてはなりません。
コロナ禍で経済活動の停止が1年も続けば、大企業にまで倒産が広がり、大量の失業者が生まれるのは確実です。感染対策により、感染による死者を減らすことができたとしても、失業による自殺者が感染による死亡を上回ってしまうようでは、国の政策として成功とはいえません。大切なことは、感染防止と経済対策を両立させることが大切となります。
緊急事態宣言後の自粛要請により、仕事をテレワークに切り替えたり、医療現場でオンライン診療を広げたり、学校でのオンライン学習を増やしたりしています。欧米や韓国に比べて遅れているとされてきたデジタル化をこの機に進め、感染リスクの軽減と経済の活性化を両立させることは大切です。しかし、オンラインやテレワークの持続にはおのずと限界があります。そのため、政府ができる限り具体的な出口戦略を示す必要があります。
出口戦略として重要な鍵を握るとされるのが、PCR検査と考えられています。感染防止の対策に、多くの国民が安心感を抱くためには、大がかりなPCR検査と接触者の追跡、感染者の隔離といった総合的なシステムの構築が不可欠とされています。PCR検査が諸外国並みに実施されなければ、出口が見つけられないことにより、国民の感染への恐怖が残ったままで経済活動を再開することはできないと報道されています。しかし、PCR検査の正診率は50~70%とされており、偽陽性も偽陰性も存在することもよく認識しておくべきです。
米ハーバード大学のチームは、1日に500万件以上の検査を行うことで職場の感染リスクを下げ、段階的に活動再開する案を提起しています。日本は、現在でも検査件数が極端に少ない状態です。安心感を広げるには、1日数十万件の検査体制が必要との意見ばかりが報道されています。しかし、PCR検査の数がアメリカやドイツに比べて圧倒的に少ないにもかかわらず、人口100万あたりの感染者数のみならず死亡者数が少ないということに着目しなければなりません。現時点では、PCR検査で診断し、陽性と判定されても適切な治療薬はありません。PCR検査を増やして正確な感染者数を把握することも大切ですが、死亡者を減少させることができなければ増やしても何の意味もありません。社会にとってより大切なことは、感染による死亡者数を増やさないことです。そのための医療体制を整えておくことが大切になります。いずれにしてもわが国において、死亡者数が諸国に比べて少なく、オーバーシュートが起きていないことは、これまでの感染症対策に大きな誤りがなかったことを結果的に示しています。
何が何でもPCR検査だけを増やすということになれば、10万人規模の人材や大量の隔離場所を用意しなければならず、数兆円規模のお金や人材育成にも時間がかかります。こうした対策は、この秋冬になると予想される第二波のコロナ禍に備えるために必要となります。これまでの検査体制の不備を急いで解消しなければなりません。しかしいずれにしてもこのPCR検査の数の少なさで、感染が強く疑われる症例にのみ検査が実施されている状況にもかかわらず、わが国の死亡者数が少ないのは驚くべきことです。わが国の国民の行動規範は素晴しいと思われます。コロナ禍の終息は、ひとえに個人の行動にかかっています。個人個人がソーシャルディスタンスを保ち、手洗い、うがいを励行し、マスクを着用するなどの感染防止対策を履行すれば、もはや経済活動や社会活動の開始を考えても良い時期に来ているのではないでしょうか。
(吉村 やすのり)