再生医学の応用
再生医学の生殖医療への応用を考えた場合、無精子症や早発閉経のような絶対不妊などの生殖機能障害をもつ個人から、ヒト胚性幹細胞(ヒトES細胞)、iPS細胞(induced Pluripotent Stem cell)を樹立することが可能となれば、精子や卵子の提供を受けることなく、子どもをもてる時代が到来するかもしれない。わが国においてもES 細胞、iPS細胞から配偶子を作製する研究が許可されているが、その際作製された配偶子を利用して受精卵の作製をしてはならないとされている。イギリスやシンガポールではiPS細胞より分化させた配偶子を用いて受精卵を作製する研究が許可されているが、他の国では禁止されている。生殖医学に携わる研究者にとっては受精をさせた後の胚としての正常発育を観察できなければ、配偶子とみなすことはできないとし、受精後の胚を体内に移植することを禁止すればよいとの考え方もある。
ヒトiPS細胞の樹立はヒト胚の破壊を伴わないという点において、ヒトES細胞に付随する倫理的課題を回避しているが、その一方で新たな課題を提起している。例えば、ヒトiPS細胞の作製と生殖細胞への分化誘導は、同一人物や同性に由来する配偶子を用いて受精させることが可能であり、自然界では起こり得ない胚の作製により子どもが誕生する可能性があることも考慮しておかなければならない。また、iPS細胞は毛根や血液といった微量の細胞ソースからでも樹立可能であることから、ヒト細胞に対する厳重な管理と取り扱う科学者の研究に対する倫理認識を新たにする必要がある。
ヒトiPS細胞の医療への応用は重要課題であるが、その前に乗り越えなければならないハードルはいくつもある。iPS細胞についても樹立、研究への利用、臨床応用などの段階でいくつもの倫理的、法的、社会的課題があることを忘れてはならない。しかしながら、これらES細胞やiPS細胞を用いて行う研究は、遺伝的要因をもつ不妊病因の解明や染色体異常の機構解明、加齢に伴う卵形成異常などの病態解明に必ずや役立つものと考えられる。またiPS細胞から卵子や精子を作製することができれば、受精や胚盤胞形成、そして着床に至る胚発生まで、これまでヒト材料を対象とすることができなかった領域に分子遺伝学的アプローチが適用可能になり、生殖医療のみならず胚発生のメカニズム解明といった新たな基礎医学領域の発展につながることも期待される。
(生殖医療の必須知識2020)
(吉村 やすのり)