生殖とは生命体がこの世に現れて以来、連綿と繰り直してきた生命の保持を目的とした極めて重要な行為である。ヒトは生殖により次世代を産出し、個体の死を超えて存在することを可能にしている。有性生殖を行うヒトにおいては生殖における男と女の役割が異なっている。性染色体やホルモンになどによって、男女は生物学的に異なる存在として特徴付けられている。しかしながら、高度に近代化を遂げた情報化社会においては、男女の社会的存在の意義やその役割、従来の社会理念や規範が変化してきている。このような社会状況の中では、その男女の歴然とした生物学的な差異の現出が困難になってきている。
ヒトはあくまで自然界に存在する哺乳動物であり、生物学的に子孫を残すべく運命づけられており、命脈をつないできた。しかしヒトは他の動物と一線を劃し、叡智や理性により自らの生活様式や社会環境を改変してきた。人類は社会進出の促進やより高いキャリア形成を求めた結果、それが未婚化を促進し晩婚・晩産化に繋がり、少子化に直面することになった。わが国はこの社会的変化に、政策の上で十分に対応できなかったことが、現在のような少子化の状況を招いたとも考えられる。一方、少子化を論ずる際には、男女の生物学的な相違を十分に顧慮することも必要になる。哺乳動物としてのヒトにも生殖年齢の適齢期がある。特に女性の生殖機能は年齢とともに低下し、出生後卵子は新生できないことにより、卵子の老化は確実に起こる。こうした生殖に関する医学生物的な知識を教育する視点がこれまで欠如していた。
次世代の産出と少子化問題との関連で強調しなければならないことは、男女の生物学的な差異の論議を封じてはならないことである。これはあくまでも男女のからだの仕組みの差異を示しており、差別を意味するものではない。生命の維持や生殖に関する生物学的な仕組みは、種を超えて共通であることは冷厳な事実であり、再認識することが大切である。ヒトにおいては動物と異なり、予防医学の進歩により平均寿命の延長がみられるが、生殖年齢の延長を期することはできない。男女の差異を十分に理解した上で、個々の自律的な選択が尊重されるべきであることには贅言を要しない。男女の差異と差別を混同し、男女平等の概念が論じられてはならない。
(吉村 やすのり)