米国の中絶論争に憶う

米国の最高裁は、6月24日に人工中絶を女性の憲法上の権利と認めた1973年の判決を覆す判決を言い渡しました。アラバマ州では、2019年に中絶を原則禁止する州法が制定され、判決を受けて施行されました。性的暴行や近親相姦による妊娠も例外ではなく、違反すれば、手術した医師らは最高で99年の禁固刑が科せられることになります。11月の中間選挙でも、妊娠中絶が主要な争点に浮上することになりそうです。中絶への賛否を巡り、保守派とリベラル派との対立は、収まる気配がみえません。
1973年のロー対ウェイド判決では、人工妊娠中絶を初めて憲法上のプライバシー権と認めました。テキサス州の中絶規制を巡り、同州在住の妊婦が、ジェーン・ローの仮名で、ヘンリー・ウェイド地方検事と裁判で争ったことから、この名が付いています。米国で中絶への賛否は割れています。米ギャラップ社の世論調査によれば、女性の権利を重視する中絶賛成派でプロ・チョイスと、人工中絶を殺人とみなすキリスト教保守派を中心とした反対派であるプロ・ライフの割合は、長年50%前後で拮抗してきました。
そうした中、キリスト教保守派を強固な支持基盤とし、2016年に当選したトランプ前大統領は、プロ・ライフを公言し、最高裁の保守化を進めました。9人の最高裁判事のうち、任期中に中絶に否定的とされる保守派判事3人を任命し、今回の判決に結びつきました。
中絶賛成派は民主党を、反対派は共和党を支持する傾向が強く、各州の中絶規制の強弱は民主、共和両党の支持基盤と重なっています。米国人の56%が今回の判決に反対しました。民主党支持者は88%が反対した一方、共和党支持者は77%が賛成しています。中絶問題はリベラル派と保守派の分断をさらに深めるものと思われます。
わが国において、1996年に改正された母体保護法では、22週未満であれば人工妊娠中絶が認められています。しかしながら、母体保護法では、胎児条項が認められておらず、出生前診断後の中絶も大きな問題となってきています。これまでわが国では、米国のようにプロ・チョイスとプロ・ライフについて十分な検討がされず、母体保護法に準じて人工妊娠中絶が実施されてきています。リプロダクティブライツが確立されていないわが国においても、今一度、母体保護法に基づく中絶に関して、広く国民の間での熟考が必要なように思われます。

 

(2022年7月27日 読売新聞)
(吉村 やすのり)

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