コロナ禍のような公衆衛生上の危機的状況において、危機管理の要となるのが行政医です。しかし、わが国の保健所の所長などを務める公衆衛生行政医師は、臨床医に比べて非常に少ない状況にあります。行政医が不足する弊害としては、一人当たりの業務量増加に伴い、感染症などの種々の医学的判断が必要な業務にきめの細かな対応ができなくなってしまいます。
行政医は、基本的な臨床知識の上に疫学調査や統計学の基本など公衆衛生学的な知識はもちろん、地元の医療関係者との日頃からのつながりや、行政施策に関する法制度・予算・議会対策などに精通している必要があります。しかし、待遇面において臨床医とは差が出ます。行政医になれば、公務員としての給与体系に組み込まれるので、病院勤務などの臨床医と比較すると、どうしても収入が低く抑えられてしまいます。さらに臨床現場から離れるため退職後に開業、病院勤務という道も閉ざされます。臨床医が個々人の患者を診ることでスキルアップしていくのに対して、行政医は集団や社会システムを診ることが仕事だからです。
日本専門医機構による新専門医制度にも、公衆衛生や産業衛生といった社会医学系専門医が選択に入っていません。公衆衛生行政業務の根底にある医学の高い専門性の重要性を考慮していないともいえます。米国では、専門医制度の中に予防医学の項目があって、その2階部分に公衆衛生、産業衛生、医療情報など複数の領域が設定されています。その予防医学専門医の研修過程には公衆衛生大学院でのMPH(公衆衛生修士)が設けられています。厚生労働省やWHOなどで活躍する医師には、MPHの資格を有する医師も増えてきています。わが国においても、MPHの資格を有する人材を育成していくことで、新型コロナウイルスのようなパンデミックが起きた際に、現場や政府において専門家として指揮をとったり、情報発信をしたりすることが期待されます。
(Wedge June 2020)
(吉村 やすのり)