新型コロナ感染症のパンデミックは、ヒト・モノ・カネがかかってない勢いで世界を行き交っていたグローバル時代を嘲笑うかのように、一気に世界中に拡散しました。感染対策の世界最強機関とも言われる米疾病対策センター(CDC)も本領を発揮できないまま、米国の死者数は10月21日現在22万にも達しています。一方わが国は、新型コロナウイルスへの対策では、一貫性に乏しい政策でなかなか方向性が定まらず曖昧な印象を与えているにもかかわらず、死者数は1,679名であり、重症者も少ない状況にあります。それは、わが国の世界でも有数の医療体制に起因するとも考えられますが、国の様々な会議体において、できる限り多くの専門家の意見を反映しようとした結果でもあり、国家権力の不当な介入もなく、最終的には国民の判断に委ねた点は評価できると思います。これはある意味、民主主義が機能した結果とも言えないことはありません。
民主主義とは、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の権利を擁護することにあります。そこでは、どんな小さな意見も見逃さず、全体の調和と合意を図り、皆が納得するような結論を導き出すことが要求されます。多様な考えや意見があるからこそ、建設的な議論が育まれ、新しい概念や制度が構築されます。これが真の民主主義というもので、結論を出すことが難しく、時を要する、つまり社会が多様な選択肢を示すことで、豊かな未来が約束されることになります。
現在のコロナ禍のような危機的な状況においては、全体主義的な階段を上ることにより、民主主義が損なわれる危険性が増すこともあります。まさにわが国は、今少子高齢化の真只中にあり、特に少子化は喫緊かつ最大の課題です。さらに新型コロナウイルスの感染拡大で、少子化問題は置き去りにされるばかりか、コロナ禍での子育て不安から、少子化はさらに加速することが危惧されます。コロナ禍では、不安定な雇用や収入減に加え、登校自粛などによる子どもの精神発達への強い疑念、在宅勤務でのテレワークと子育ての両立の難しさ、さらには孤独な子育てに伴う親のストレスの増加などにより、子育て世代である一部の人にしわ寄せがいっています。
コロナ禍で露呈した様々な子育て不安の除去は、今後の少子化対策の大きな課題となります。従来の少子化対策である働き方改革、雇用の確保、子育て環境の整備に加えて、新しい支援の形が必要となります。そのためには、多様性を認める社会に変貌を遂げなければなりません。日本での婚外子は全体の2%に過ぎず、婚姻関係になければ子どもが産めない状況にあります。望んで結婚せず子どもを産みたい人や、事実婚や性的少数者のカップルらの、子どもを産んで育てたいという希望は、婚姻にかかわらず叶えられるべきです。多様性を認める社会ではないことが、わが国の出生率の低さに表れています。女性のReproductive Rightsが認められる、そんな社会を目指さなければなりません。
少子化は社会を映す鏡と言われます。社会のあらゆる歪みの結果が、少子化という現象になって表れていることを直視すべきです。わが国の少子化問題を国民一人ひとりが真正面から受け止め、社会の文化や風土からも見直されない限り、解決は難しいと言わざるを得ません。わが国にresilientな未来をもたらしてくれるのは女性と子ども達であり、少子化を打破するには多様性を認める文化の醸成が肝要です。心健やかに産み、安心して子育てのできるような社会、若い世代が子どもをつくりたいと思う社会を目指すことが、少子化脱却への近道であると考えます。
(吉村 やすのり)