ワクチン接種の意義を考える

ワクチンの定期接種により、破傷風、日本脳炎、ポリオ、麻疹など数多くの感染症が克服されてきています。ワクチン接種により、あらかじめ免疫の記憶を付けておけば、ウイルスなどの病原体が体内に入ってきた時に、素早く免疫によって体が守られ、病気に罹らずにすみます。しかもワクチンは、個人の感染を防ぐだけではありません。集団免疫と言われるように、多くの人がワクチン接種を受けることにより、社会からその感染症が減り、結果的に予防接種を受けていない人も感染症から守られることになります。
しかし、皮肉なことに、ワクチンが普及して人々が病気に罹らなくなり、感染の恐怖を感じなくなると、接種の有難さや重要性の認識が薄れてしまいます。副反応を心配するようになって大きな社会問題となると、ワクチン行政は大幅な後退を余儀なくされてしまいます。わが国では、世論や社会の風潮としての感染症に対するワクチンの予防効果より、有害事象が中心に取り上げられ、ワクチンの必要性や重要性が認識されなくなってしまいます。わが国のワクチン研究の遅れは、国民やマスコミのワクチン接種の有用性の認識不足も大いに影響しています。
このようなワクチンへの不信感は、今なお国民の間に強く残り、日本はワクチン開発競争にも大きく後れを取ることになってしまいました。ワクチンに限らず、医薬品の開発には巨額の費用と地道な基礎研究が必要です。それ故に世界の製薬企業は統合を繰り返し、少数のメガファーマに集約されてしまいました。わが国の製薬企業は、ワクチン開発のための研究に注力しなくなりました。加えてワクチンは国家戦略物資でもあり、政治的、軍事的観点から巨額の公的研究資金を投じている国さえあります。今回承認された新型コロナウイルス感染症のワクチンには画期的新技術が使われており、長年にわたる産学官の協働体制と資金投入がなければ実用化できなかった技術です。
今回の新型コロナウイルス感染症は、国民がワクチンに対する考え方を見直す大きな契機とすべきです。最近では子宮頸がんに対するHPVワクチンも、副反応の問題から、国の積極的勧奨が中止されたままになっています。子宮頸がんの死者は年間3千人にも達しており、交通事故死者数に相当します。ワクチンで確実に回避できることが世界で証明されているにも関わらず、事実上ワクチン接種が実施されていない状況が続いています。
WHOの子宮頸がん征圧のための戦略の徹底により、今世紀中に世界の多くの国々で子宮頸がんは根絶に向かうと思われます。先進国の中で、わが国の女性だけが子宮頸がんで子宮を失ったり、命を落としたりするという不利益を被らないためにも、1日も早い政府による積極的勧奨の再開が望まれます。1人の産婦人科医として、低下したままのHPVワクチン接種率を座視してきた責任を痛感しており、将来を担う世代に頭を下げて謝りたい気持ちです。子宮頸がんの予防は、科学的に検証されたエビデンスに基づいてプログラムを実施することによってのみ達成できます。
子宮頸がんは誰でも罹患するがんであり、マザーキラーと呼ばれる重篤な疾患であることを十分に教育したうえで、HPVワクチンの予防効果についての重要性を国民に訴えていくことが肝要です。ワクチン普及は製薬会社の利益や研究者の利権のためではありません。我々自身のためのものです。そのためには、国民やメディアに対する教育が枢要であり、官民一体となった取り組みが急務です。

(吉村 やすのり)

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