ワクチンはラテン語の牛が語源で、牛痘から死亡率がはるかに高い天然痘のワクチンが開発されたことに由来します。1980年代まで、水痘、日本脳炎、百日ぜきといった日本のワクチン技術は高く、米国などに技術供与していました。新しいワクチンや技術の開発がほぼ途絶えるまで衰退したのは、予防接種の副作用訴訟で、1992年に東京高裁が国に賠償を命じる判決を出してからです。
1994年に、予防接種法が改正されて接種は努力義務となり、副作用を恐れる保護者の判断などで、接種率はみるみる下がっていきました。日本のワクチン開発の停滞は、官だけの責任ではありません。副作用のリスクを踏まえても予防接種のメリットが大きいという公衆衛生に対する理解が、わたしたち国民を含めて社会全体で足りないことに起因しています。コロナ禍で、世界がワクチンの奪い合いの様相を強める中で、国産ワクチンは一つも承認されていません。
2013年に定期接種になった子宮頸がんワクチンは、接種率が1%未満にとどまったままです。投与後に慢性の痛みや運動機能の障害などが出るとして、一部メディアで薬害と騒がれ、厚生労働省は接種勧奨を中止してしまいました。大規模調査で、ワクチンと痛みなどに因果関係は証明されていませんが、その後も接種率は改善していません。がん患者を減らす効果が証明され、接種率90%を目指している世界のワクチン先進国とは対照的です。
今や欧米で開発されたワクチンを、数年から10年以上も遅れて国内承認するワクチン・ギャップが常態となってしまいました。日本は予防接種法を改正し、義務接種を取りやめ、かつてのような学校での集団接種も見られなくなっており、ワクチン接種は個人の判断に委ねられています。新しいウイルス感染症の感染拡大に打ち勝つためには、ワクチン接種が必要であり、今こそ、18世紀末に天然痘ワクチンを開発したエドワード・ジェンナーの理念をかみしめ、国民一人ひとりが危機と向き合い、ワクチンに対する正しい理解が求められています。
(2021年5月10日 日本経済新聞)
(吉村 やすのり)