ワクチン接種に憶う

感染症対策の基本は、治療薬と公衆衛生的な感染防止策、それにワクチンの3本柱です。新型コロナウイルスの感染拡大が世界に広がった昨春、米国はワクチン開発の加速に巨費を投じました。一方、日本においては、マスクなどの公衆衛生対策が中心で、レムデシビルなど治療薬の開発も話題になりました。しかし、世界各国に比べ感染者数や死亡者数が少なかったこともあり、皮肉なことにワクチン対策は後回しになってしまいました。夏に第2波が来て、慌ててワクチンに資金の調達を急ごうとしましたが、出遅れが響くのは当然です。
今回の新型コロナウイルス感染症に、米国のファイザー社やモデルナ社は、全く新しいタイプのメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンを供給しています。英アストラゼネカ社のタイプも大規模な接種実績は多くありませんが、驚くほど早く大勢に接種できるようになっています。ワクチンの安全性が懸念されましたが、これまでのところ大きな副反応もなく、欧米では感染拡大が抑えられるまでになっています。このmRNAワクチンは、がんワクチンとしても研究開発が進められています。
欧米では、1980年代からワクチン開発の新技術の基礎研究を重ねており、すでに現在実用化水準に達していたから、早期にワクチン接種が可能となりました。いつ起きるか分からない感染症だけでなく、がん治療なども視野に入れ、研究資金や人材を確保し、研究を続けていました。この頃、日本では、海外で広く使われるようになったワクチンさえ、導入されない時代が長く続いていました。かつては政府がワクチン開発を主導していましたが、集団予防接種後の死亡や障害が社会問題化して、裁判で損害賠償を命じられた政府がワクチンに背を向けてしまいました。
子宮頸がん予防のHPVワクチンでは、副反応を煽るマスコミの報道ぶりも問題でしたが、厚生労働省がワクチン接種の積極的勧奨をマスコミ報道を受けて止めてしまいました。政府は、本来たとえ一部で副反応が起きても、接種する重要性を説明したり、接種後の不調を集計し科学的に因果関係を検討する仕組みを整備したりすべきです。わが国においては、ワクチンは国民の健康を守る武器という意識が弱いことが問題です。
政府や企業でもワクチン開発への資金を出し渋り、医療体制の見直しにより、感染症対策の最前線に立つ保健所や国立感染症研究所の人員はむしろ減らされてしまいました。そこに今、現場の実情を把握せずにワクチン接種目標を掲げたことによる混乱も起きています。現在医療従事者に引き続き、高齢者への設定が始まりました。接種方法は自治体に任されていますが、ワクチンがいつ届くかがはっきり見通せず、接種スケジュールが立てにくくなっています。
今回の新型コロナウイルスのような新規感染症には、感染した場合の治療薬の開発も大切ですが、予防のためのワクチン接種が優先されます。しかし、ワクチンを受けない自由を否定すべきではありません。接種するメリットと、副反応などのデメリットを自分で比較して、受ける受けないを自分で決めるべきです。自分が受けないと他の迷惑になると考えるのではなく、各人が自己愛から行動すべきだと思います。
世界では、ワクチンが一部の豊かな国に優先的に供給され、貧しい国は後回しにされています。ワクチンを国際的に共同調達し、途上国にも平等に割り当てるCOVAXファシリティーの枠組みなどをきちんと機能させることが大切です。ワクチンから得られる社会的利益は感染を広げないことです。そのためには、分配の正義を実現させる必要があります。

(吉村 やすのり)

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