生まれてくる子どものために―生殖医療管見―

 1978年、イギリスの生理学者のエドワーズ博士と産婦人科医のステプトー博士により体外受精児であるルイーズ・ブラウンが誕生した。

地道な生物学の成果と不妊治療が合従して登場したこの体外受精・胚移植技術は、宿志を実現した観があり、革新的な不妊症の治療法として導入され、瞬く間に全世界に普及していった。

これまでに全世界で400万人以上、わが国でも20万人以上の子どもが、この生殖技術によって誕生している。エドワーズ博士はこの体外受精・胚移植技術を開発し、生殖医療にブレークスルーを起こした業績により、2010年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。生殖医療に従事するわれわれ臨床医にとって正しく宿望を遂げた受賞といえる。

この先端医療はそれまで全く妊娠を望めなかった夫婦でも子どもがもてることを可能にしたが、一方では技術の進歩に伴い、新たな医学的、社会的、倫理的、法律的な問題を提起するようになった。さらには生命の起源に対する考え方、家族観や社会観を大きく変える医療として捉えられるようになってきている。生殖医療における倫理は生まれる子どものための倫理であるといってよい。配偶子より胚がつくられ、そこで初めて人としての尊厳が生まれる。胚は正しく生命の萌芽であり、それを取り扱う生殖医療者には高風な倫理観が要求される。その倫理認識は妊娠の成立のみならず、生まれた子どもの成長や発育にまで傾注されるべきである。生殖医療においては、自律性の尊重をはじめとするクライエントの権利論を主張する者がいるが、子の尊厳が一義的に考えられることが望ましい。そのためにまず医療者側がなすべきことは、生まれた子どもとその家族の長期追跡体制を確立することである。周産期医療に携わる者だけではなく、生殖補助医療に従事した者が生まれた子どもの長期予後に注意を払うべきであり、責任をもつべきである。

時空を超えた絶対的な倫理というものはなく、倫理観とは時代とともに、また技術開発とともに変化するものである。医療技術の進歩は新たな倫理的問題や社会的状況を産み出すことになる。医療における倫理問題は科学技術の進展と不可分であり、大きな影響を受けることになる。体外受精を契機として従来の不妊治療はその過去と訣別し、妊娠が不可能と考えられていたクライエントに大いなる福音をもたらすこととなった。このように体外受精・胚移植の技術は人類にとって素晴らしい贈り物である“プロメテウスの火”であるといえる。しかしながら、その技術の普及によりわれわれに新たな災いをもたらすことになった“パンドラの箱”という両面を持ち合わせていることも事実である。向後、この技術をどのように利用し、発展させていくかは大いに人間の知恵が問われるところである。

<吉村やすのり>

 

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