日本産科婦人科学会の見解
AIDを希望する夫婦は、実施前に「私たちの嫡出子と認め、育てることに同意します」との同意書面に署名、捺印をした上で、自分たちの子としての届け出をしています。
日本産科婦人科学会ではAIDについては平成9年4月に見解を定め、施行の際の要件の一つとして、クライエント夫婦が法的婚姻関係にあることを前提としています。これはAIDによって生まれた子が、嫡出子となることが子の福祉に適うとの考え方によります。そのため、クライエント夫婦の法的婚姻関係を確認する手段として実施前に戸籍の確認をすることになっております。これは民法772条第1項における婚姻中の女性が出産した子の父子関係が、嫡出推定により認定されることに依拠しています。精子提供によって生まれた子は通常夫の子として戸籍に記載され、夫が嫡出否認の訴えをしない限り、父子関係は安定しているように見えます。法律学者の間でも、夫が施術に同意したとの事実により、夫の子として推定することこそ夫婦の意志に合致し、かつ子の保護になるとの考え方が多数を占めていると思われます。しかしながら、子供がドナーの精子によって生まれたことが明らかであれば、嫡出推定が及ばないとの考え方をする法律学者がいることも事実です。
性同一性障害におけるAID
最近、性同一性障害で戸籍上の性別を女性から男性に変更し、別の女性と法的に婚姻した後に、AIDを用いて挙児を希望するカップルがわが国でも増えてきています。法的に婚姻している夫婦であり、希望によりAID治療を実施することは、日本産科婦人科学会の会告にも抵触しません。しかしながら、法務省は生まれた子どもに対して嫡出子として戸籍に登録することは出来ないとの判断を示しています。嫡出子として認められない場合、親子関係を創設するために夫が生まれた子を「認知」することができます。もし認知が認められれば、クライエント夫婦の嫡出子となり、生まれた子どもは相続などの法的不利益を被らないことになります。ところが夫が生物学的に女性であるため、「認知」も認められない可能性があります。嫡出推定も認知も認められない場合、性同一性障害カップルのAIDで生まれた子は妻の非嫡出子となり、父のない子になってしまいます。これらカップルへのAIDの治療は、法的な親子関係が作れないことを前提に子をつくる治療となってしまいます。これは重大な問題です。
法務省の見解
法務省は、女性から男性への性別の変更した夫との間には、民法772条による嫡出推定が及ばないことから、嫡出子であるとの出生届を受理することはできないと述べています。一方で、性同一性障害患者の性別の取扱いの特例に関する法律、いわゆる特別法においては、性別を変更した後は新たな性で民法の適用を受けることになっています。しかしながら、法務省の見解では夫は元来女性であり、遺伝的な父子関係がないことは明らかな限り、嫡出子として取り扱うことはできないとしています。しかも、性別の変更をした夫がAIDで生まれた子を認知することもできないことを明記しています。家庭裁判所が民法上の要件を満たしていると判断すれば、子どもを特別養子とすることはできるとしています。また、性別を変更した夫がAIDで生まれた子と普通養子縁組をし、嫡出子として法律上の親子関係をつくることも可能であるとしています。性同一性障害患者夫婦へのAIDで生まれた子が嫡出子として認められないことを考慮すると、通常の夫婦間で実施されているAIDにおいても、生まれた子どもが夫との間に遺伝的な関係がないことが明らかになれば、現行法のもとでは嫡出子とはならないことになってしまいます。これはこれまでAIDで生まれた1万人を超える子どものことを考えると、極めて深刻な問題です。
(吉村やすのり)