病腎移植と生殖補助医療

 医師が患者に医療行為を施すとき、「患者のために」とか「患者は待っていられない」という言葉がよく使われます。医師が患者の求めに応じて、その時代における最高水準の医療を提供できるのは、患者と医師の関係が一対一の関係で完結することが前提となります。しかしながら、現代においては医療技術の進歩した結果として、第三者の身体や身体一部の利用が医療手段として利用されるようになってきています。一部の医師らによって患者のためにという名目のもとに行われた生殖補助医療問題、そして病腎移植問題はいずれも社会的な問題となり、大きな混乱を招いています。

これらの問題は、いずれも社会において合意形成が不十分な状況下で特定の医師が第三者を介する医療行為を施したという点で共通しており、マスコミも同一視していますが、それぞれの問題の本質は医学的、倫理的側面からも全く異なっています。

病腎移植

病腎移植問題においては、医学的には禁忌とされていた悪性腫瘍の腎の移植、治療法として認知されていないネフローゼ患者の腎の摘出と移植といった問題が含まれています。さらに機能温存が標準とされている良性疾患の腎の摘出と移植といった、これまでの腎疾患あるいは腎移植医療の治療体系の標準から逸脱した医療であるという点で、医学的な判断が重視される問題です。実施した医師は、捨てられた腎臓を利用したものであるとして、その正当性を主張していますが、移植医療の常識として、病患臓器であっても他人に移植することが可能であるような臓器を、捨てるものとして摘出し移植することはありえないとの考えもあります。これら問題に対しては、医学会としての医療の是非判断が必要となります。

生殖補助医療

一方、生殖補助医療の問題は、進歩し確立されてきた医療技術の適応拡大という局面で生じた問題であり、しかも適応拡大の判断に関して医学的というよりは、むしろ倫理的側面や社会の合意が重視される問題です。この点で代理懐胎などの生殖医療は、医学的判断が必要とされる病腎移植問題とは全く異なると考えられます。両者に共通しているのは、医療技術が進歩した結果施行できるようになったということであり、代理懐胎や病腎移植が先進医療技術であると捉えるのは誤謬です。施術にあたった医師は、患者のために先端医療技術を駆使できないのは基本的人権の侵害に値すると述べていますが、問題点の検証や社会的な合意形成が不十分なまま、個々の医師の判断によって実施されている現状は憂うべきものがあります。

(吉村やすのり)

カテゴリー: what's new   パーマリンク

コメントは受け付けていません。