わが国における生殖医療をめぐる出来事

 1948年に慶應義塾大学において、精子提供による人工授精(AID)が実施され、翌49年に女児が誕生しています。以来67年が経過し、推定15,000人以上の子どもが、AIDによって生まれてきています。1983年には東北大学医学部でわが国の最初の体外受精児が誕生しました。1998年には、わが国でも長野県の産婦人科医師が卵子提供による体外受精を実施し、子どもが誕生しています。こうした状況を鑑み、厚生労働省は専門委員会や厚生科学審議会を設け、精子、卵子や胚の提供による報告書を2003年に作製しました。しかし、その後親子法などの法律が制定されることなく、現在に到っています。
 こうした状況の中、生殖医療クリニックでつくる日本生殖補助医療標準化機構(JISART)が、2003年に独自の基準を作り、姉妹・友人からの卵子提供による体外受精を限定的に実施してきています。精子提供に関しては、性同一性障害のカップルにおいては、子どもに嫡出推定が及ぶかどうかが問題となりましたが、2013年に最高裁が、性別を変えた男性をAIDで生まれた子の父となる認める判断を下しました。そして、OD-NETにおいて匿名の第三者からの提供卵子によって、体外受精が実施されました。病気などで妊娠できない女性が、面識のない匿名の第三者から卵子の提供を受けて体外受精していたことを明らかにされました。
生殖補助医療は事実先行で進んできた感があります。ル-ル作りは急務ですが、社会として受け入れるかどうか、医師や学会ではなく社会全体で議論して決めることが必要です。

(2015年8月16日 日本経済新聞)
(吉村 やすのり)

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