安全性と安心の違い

東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出が、2年後にも始まる見通しになりました。処理水には放射性物質であるトリチウムが含まれていますが、その濃度は国際基準以下であり、健康被害は全く問題とならないとされています。仮に毎日2ℓ飲み続けても健康影響が出る水準を十分に下回っている基準である1ℓあたり6万㏃の40分の1の水準です。この線量水準は、国際的にみても厳しく、WHOの飲料水の水準の7分の1です。
トリチウムから出る放射線は弱く、紙一枚で遮れると言われています。自然界でも、宇宙からの放射線で日々トリチウムが作られていて、12.3年で放射線は半分に減ります。実際、運転中の原発や使用済み核燃料の再処理工場からも、濃度や量を管理して流しています。日本に限らず、海外でも原発1施設あたり、年間数兆~数十兆㏃を排水しています。処理水に含まれるトリチウムの基準に対する健康への安全性は、科学的に検証済みです。
政府は処理水放出決定に際して、風評影響を生じさせないとの強い決意をもって対策に万全を期すとしています。水産業では、生産、加工、流通、消費の段階で対策を徹底し、販路拡大を支援することにしています。しかし、政府のこれまでの取り組みは、科学的な安全性の啓発に始終してきました。原発事故と食という問題を考える際には、安全性のみならず消費者の安心感を最優先させるべきです。安全な食が必ずしも安心な食ではありません。福島産品の販路を守るなどの流通面の課題を解決することも大切ですが、それだけでは消費者の安心の獲得につながりません。安心は、個人の主観的な判断に大きく依存し、多くの複雑な個別要因が絡み合った不確実な心の内面の問題です。安全は科学的エビデンスの蓄積により確保できますが、安心の獲得には地道な努力が必要です。
処理水の海洋放出にあたっては、風評被害への賠償のあり方も焦点になっています。政府は東電に、期間や地域、業種などは限定せずに賠償するよう求めています。損害の立証の負担を被害者に一方的に負わせず、被害者に寄り添って迅速に対応するよう指導するとしています。しかし、賠償が適切になされるのかどうか、不安視する声も出ています。これまでの東電の賠償の実態は、被災者を尊重するという理念に欠けていたからです。
現実問題として処理水の処分は、福島の復興を成し遂げるためには避けて通れません。処理水の海洋放出は、廃炉作業期間の30年程度続きます。風評被害を抑えて、漁業者の理解を得ながら処理水の対処を続けるには、国や東電が国内外の不信感を払拭することが何よりも大切です。単に安全性を強調するだけではなく、国民に安心感を抱かせるような実効力のある対策が必要となります。

(2021年4月14日 朝日新聞)
(吉村 やすのり)

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