東京中央区の人口回復

1956年に日本住宅公団により、団地が造成された晴海地区の人口は増えましたが、高度経済成長に伴うドーナツ化現象で、中央区の人口は減少の一途をたどりました。住宅は次々とオフィスビルに建て替わり、地価は高騰してしまいました。区民は郊外に流出していき、止めどなく人口が減り、危機感でいっぱいでした。
戦後の1947年に東京都の23区制が始まり、日本橋区と京橋区が統合して中央区が誕生しました。当時の人口のピークは、1953年の17万2,183人でした。その後は人口減少が続き、1997年には約6割減となる7万2,090人にまでに減少しました。いったん人口が減ると、住民向けの商店などの商業サービスも減り、さらに人口が減る負のスパイラルが起きていました。
中央区は、開発業者が市街地を開発するときに住宅も合わせて確保するように指導を行ったり、賃貸住宅の建て替え後にこれまでの居住者が住み続けられるように家賃補助を行ったりするなど施策を打ち出しました。地代が高い中央区で、住宅供給の合理的な方法がタワーマンション開発でした。沿岸部の再開発に都心回帰の機運も重なり、子育て世帯の流入が続きました。
1997年以降、V字回復している区の人口は17万9,599人と、目下最多を更新中です。沿岸部を中心にマンション開発が計画されており、2028年には、人口が20万人を超えると推計されています。

(2024年4月3日 読売新聞)
(吉村 やすのり)

カテゴリー: what's new   パーマリンク

コメントは受け付けていません。