生殖医療を考える―Ⅵ

出自を知る権利
わが国では過去70年以上にわたって大きなトラブルもなくartificial insemination with donor’s semen (AID)が施行され、正確な数は不明であるが、おそらく2万人前後の子どもが生まれ育ってきた。これまでは精子提供に関する匿名性の原則により、子どもの出自を知る権利は行使できない状況にあった。しかし、家族において子の出生に関する秘密の存在によって、親子の緊張関係や反対に親子関係の希薄性が生じ、子は親が何かを隠していることに気付き、親子の信頼関係が成立しなくなる危険性があることが指摘されるようになってきている。
世界的に子が精子提供者を捜す動きがみられるようになっている。子どもにとっては、知る権利と同様に知らされない権利も必要かもしれない。しかしながら、今や個人の遺伝情報も簡単に検索できる時代になっており、子どもが親子関係に疑問をもった時、自分でDNA鑑定を行うかもしれない。精子や卵子の提供を受けて子をもうけたクライエント夫婦が、実子という戸籍上の記載を隠れみのとして子どもに真実を告げないで済む時代はではなくなっている。夫婦で子どもを持ちたいと真摯に話し合い、配偶子の提供による生殖補助医療を受けることを決断し、子どもを産み愛情を込めて育てているとするならば、真実告知をすべきであるとの考えも理にかなっている。
近年、出自を知る権利を法的に認めている国が増加している。スウェーデンにおいては、1984年に制定された人工授精法により出自を知る権利を認めている。スウェーデン以外でも、オーストリア、オーストラリア、スイス、ニュージーランド、フィンランド、イギリスなどで子の出自を知る権利を法的に認めるようになってきている。各国ともAIDにおける法的な父子関係は、子とその子を育てている男性(育ての親)との間に成立しており、ドナーとの間にはいかなる法的な親子関係も成立しないことになっている。さらに、子のアイデンティティーの確立のために、ドナーを特定できる情報が提供されることを子どもに保障している。
わが国においても、AIDで生まれた子ども達は、出自を知る権利を法的に認めることを要求している。AIDをはじめとする第三者を介する生殖補助医療にかかわる医療関係者やクライエントが、真実告知を子どもの権利として認識できるようになるにはかなりの時間を要すると思われる。しかしながら、養子縁組においても、里親が子どもにできる限り早期に告知するケースが増加してきている。諸外国と同様、わが国でも精子、卵子、胚の提供で生まれた子どもへの告知のためのガイドブックが作成されており、告知を支援する活動が今後ますます必要になると思われる。
日本で最も多くAIDが実施されている慶應義塾大学病院では、海外で出自を知る権利が認められてきた状況を踏まえ、ドナーの同意書の内容を変更した。匿名性を守る考えを維持しつつ、生まれた子が情報開示を求める訴えを起こし、裁判所から開示を命じられると公表の可能性がある旨を明記している。それにより、新たにドナーを確保が困難となり、提供を希望する夫婦の新規受け入れを中止せざるを得ない事態に陥っている。これまでの国の専門家会議は、2003年に法整備に加えて公的機関でドナーの個人情報の保存や開示請求の相談に応じるよう求めているが、実現していない状況にある。性同一性障害などの性的マイノリティのカップルでは、AIDの実施が不可欠であり、国として子どもの出自を知る権利をどのように考えるのかを早急に決めることが必要となる。

(生殖医療の必須知識2020)
(吉村 やすのり)

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