生殖医療を考える―Ⅲ

社会的合意の必要性
代理懐胎をはじめとする第三者を介する生殖医療は、わが国で長年築かれてきた親子や家族の社会通念を逸脱する可能性があり、生まれてくる子の福祉が守られるような十分な配慮が必要であると思われる。またこれらを自己完結することができない生殖医療行為に関しては、幸福追求権や自己決定権のみでは必ずしも実施できるとは思われない。つまり卵子提供や代理懐胎などの医療行為は医学とは全く次元の異なる問題であり、人権、生命倫理、法的な観点などから議論されるべきである。これら施術の応用の是非は、メディカルプロフェッションとしての学会によって決定されるべきではなく、社会的判断が必要となり、最終的には立法府にて広く議論されるべき問題である。施術を容認する方向で社会的合意が得られる状況となった場合には、その合意を受けて初めて学会が医学的見地より実施のためのガイドラインを整備する必要性が出てくる。
生命倫理における政策決定には社会的合意が必要であるといわれている。特に生殖補助医療は、社会的合意に基づく統制に慎重さを要する領域である。多数派の常識というものがあり、ある意見が社会の圧倒的多数を占めていたとしても、少数の立場を否定しその自由を制限するには、少なくとも少数者を納得させるだけの説明をしなければならない。現代的リベラリズムは、自分と異なる立場の者に対し徹底的な配慮を払い、批判するのであれば論理の明快さを要求する。社会的合意とは、少なくとも多数派の常識とは異なるものであることを理解する必要がある。
現在の第三者を介する生殖補助医療の問題は、進歩し確立されてきた医療技術の適応拡大という局面で生じており、代理懐胎や卵子提供による体外受精が先進医療技術であると捉えるのは誤謬である。施術しかも適応拡大の判断に関しては、医学的というよりも、むしろ社会の合意が重視される問題である。施術にあたった医師は患者のために先端医療技術を駆使できないのは、基本的人権の侵害に値するというものもいるが、自己決定権だけでは行使できない状況もあり得る。問題点の検証や社会的な合意形成が不十分なまま、個々の医師の判断によって実施されている現状は憂うべきものがある。

(生殖医療の必須知識2020)
(吉村 やすのり)

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