生殖医療管見―Ⅲ

流産の持つ意味
 生命誕生はいわば神の領域です。体外受精をはじめとする生殖医療は、人工的な環境で人が行うのですから、本来のリスクはもっと高いはずです。しかし先回に述べたように、異常は顕著というほどには見えてきません。
 それは流産があるからなのです。異常が生じれば流産するために、リスクが見えないとも言えます。私はこれを、神は人を見捨てていないのだと感じるのです。人は神の領域に踏み込みましたが、神は人の乱暴とも言える振る舞いに流産という許しを与えてくれているのだと思います。
 赤ちゃんを期待している人にとって、流産はつらく苦しいことに違いありません。しかし、自然の場合でも、受精卵の多くは誕生にいたりません。人は生まれてきた子どもの病気を云々しますが、受精卵の中には、もっと重篤な場合が含まれています。障害の程度が軽い人から生まれてくるのです。人が苦しまないようにと、神がくださる安らぎと助けが流産なのではないでしょうか。私は無神論者ですが、神は流産によって、生殖補助医療のさまざまな問題点を見えないようにしてくださっていると思えるのです。
 体外受精の技術は素晴らしいものです。しかし、どのように発展させるのかは人間の知恵が問わるところです。それが、この技術が“プロメテウスの火”であるゆえんなのです。

(吉村 やすのり)

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