性的マイノリティー発言に憶う

自民党の衆議院議員が、同性カップルを念頭に「子どもを作らない、つまり生産性がない」などと主張したことについて、抗議の声が広がっています。LGBTへの差別や偏見を助長するとともに、子どもを産まない人、産めない人、障害や病気などで経済的な自立が難しい人をも否定するものとの抗議が殺到しています。
この発言は、心と性が一致せずに悩んでいる人のことを考えると疑問を投げかけざるを得ません。LGBTだけでなく、障害のある人や高齢の人々など、どんな人も生きていることは尊いものです。生産性という尺度で、人間の価値を判断するなんてことはあってはならないことです。どの人間に子どもを産む価値があるのかを勝手に決め、子どもを持って良い人を線引きする、旧優生保護法の考え方にも通じるものがあります。性的マイノリティーの権利に対する理解が根本的に間違っています。性的指向によって人は差別されることはなく、子どもを持つかどうかで人の価値を判断できるものではありません。生産性の有無で線引きをすることは、差別を助長することになります。
子どもが持てないのは、性的マイノリティーの方々だけではありません。小児やAYA世代にがんに罹患し、若くして生殖機能を失った人も少なくありません。このような妊孕性のない人、妊孕能を失った状態は、現在は一般に不妊と呼ばれていますが、この言葉も良くありません。子どもを産むか産まないかは、全ては個人の判断に委ねられています。さらには性的マイノリティーのカップルに対する子どもを持つための生殖補助医療の技術は、法的親子関係のもとで考慮されてもよいと思います。現実に性同一性障害のカップルにおいては、精子提供による人工授精によって子どもが産まれ、嫡出子として認められています。また里親制度や特別養子縁組も考慮されて然るべきです。
一方で、次世代の産出と少子化問題との関連で強調すべきことは、男女の生物学的な差異の論議を封じてはならないことです。これはあくまでも男女のからだの仕組みの差異を示しており、差別を意味するものではありません。生命の維持や生殖に関する生物学的な仕組みは、種を超えて共通であることは冷厳な事実であることを認識することが大切です。ヒトは動物と異なり、予防医学の進歩により平均寿命の延長がみられていますが、生殖年齢の延長を期することはできません。男女の差異を十分に理解した上で、個々の自律的な選択が尊重されるべきであることには贅言を要しません。男女の差異と差別を混同し、男女平等の概念が論じられてはならないと思います。

(吉村 やすのり)

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